Motobu Life

モトブライフ

#03 地域愛が育てた果実

アセローラ

「アセローラフレッシュ」の直営店を訪れたのは7月半ば。「まずは一杯どうぞ」と代表の並里哲子さんがふるまってくださったアセローラジュースを一口飲んで思わず声が出ました。「甘い!」。5月から11月まで収穫できるアセローラのうち、7、8月の真夏の太陽を受けた果実は特に甘味が酸味をはるかに上回るのだそう。しかも爽やかな涼味で、身体が活気を帯びていきます。

アセローラが沖縄にもたらされた歴史は1958年に遡ります。地上戦に巻き込まれ、焦土と化した沖縄。琉球政府から依頼を受けたハワイ大学のヘンリー教授(後に、沖縄の熱帯果樹の父と呼ばれる)はいくつかの熱帯果樹を沖縄に移植します。そのうちのひとつがアセローラでしたが、当時、実つきが悪く、風に弱いと判断されたアセローラは、以降20年以上、日の目を見ることはありませんでした。

1980年頃、琉球大学農学部の学生だった並里康文さんはアセローラのビタミンCに着目し、論文を発表。出身地・本部町での栽培を夫婦で試みます。
根を横に伸ばすため台風で倒れやすいという弱点は、沖縄ではハンディが大き過ぎるのでは?
でも、先駆者というのは、いかなる状況の中でもよさを見出すことができる人です。樹を低く剪定するなどあらゆる探求の他に「収穫が年1回の作物と違い、年5回収穫のアセローラはリスクを分散できる」という視点を並里夫婦は持ちました。
また、もうひとつの弱点ともいえる「収穫してから日持ちがしない」というも性質も「国内産が優位」と捉えます。

とはいえ、当時、地域の農家約100人に栽培を声かけした時、前例がない上に「大卒に農業ができるのか」などといぶかしがる人がほとんどでした。手を挙げたのは、若者の声を聞き、重労働であるサトウキビ栽培に代わる作物に望みをたくした、8人。皆、60歳以上だったといいます。
試行錯誤を共にしていくと、柔らかい果実を一つひとつ手摘みするような作業は、若い人よりもむしろ年を重ねた畑人や女性に向いていました。
栽培で、加工で、細やかな仕事を根気よくつなげ、今やアセローラといえば本部町というイメージは沖縄でしっかりと根を張っています。

樹の中央部分を剪定し、充分太陽が当たるようにした本部町独自の育て方。山あいの地であるゆえの寒暖差は糖分を高め、水はけのよさは果汁を濃密にします。
亡き夫が残した地域愛の結晶のような果実を、底抜けに明るい哲子さんが次の代に伝えようとしています。

農業生産法人 株式会社アセローラフレッシュ

http://acerola-fresh.jp/
直営店
所在:〒905-0222 沖縄県本部町並里52-2
電話:0980-47-2505